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スタジオジブリ(ズブリじゃないよ)が内乱勃発、かぐや姫の意見割れに老害戦争 [映画の話題]

ジブリ 宮崎駿 高畑勲 かぐや姫の物語 意見の違い 老害 について書きます。



さてさて、スタジオジブリは宮崎駿監督が風たちぬで引退宣言しているけれど
本当に引退しなさそうなことで話題になっています。
で、もののけ姫のブルーレイ発売のイベントにおいて、
宮崎監督はかぐや姫の物語を鑑賞したことを明らかにしました。
高畑勲監督作品のかぐや姫ですね。

すると、かぐや姫で感動して泣いているスタッフに対して、
「この映画で泣くのは素人だよ」、と、宮崎監督はざっくりいいました。
こういった意見の相違というところもジブリの面白さですね。


kaguya.jpg



鈴木敏夫プロディーサーは宮崎さんの言っていることに「意味が分からない」
の一言でしたが、わからなくていいのではないかと思います。
火との意見はそれぞれですし、宮崎さんはアニメの道に深く携わっているから
その視点での目が分かるということで。
実際、映画を見ている人の大半は素人ではないでしょうか。
そういう視点で見たら、普通に見る人にとってはいいんじゃない?
という意味も取れますね。

ただ、「この映画で泣くのは素人だよ」という部分だけ切り取ったら
ジブリの派閥争いでもあるのかな、と取れますが。

なお、ネットの感想だと泣いたという意見は実は多く、
同時に「かぐや姫」に共感できたという意見も。
だから、素人が感動するというところに焦点を集めた高畑勲監督のもくろみは
成功しているのではないかと思っています。

なお、興行成績は色々なところでネタになっていますが、
スクリーン数が多いにもかかわらず、2億しか言ってないということで
赤字が高確率で決定しているとのこと。
最もかぐや姫の物語自体、高畑勲監督が自由にやったものといってます。
日本テレビの社長が「一度好きにやってくれ」という名目で
利益関係なく作った作品だと言われています。

よって、一番お金がかかったのは手書きアニメーションの芸術です。
今のアニメはCGなどを使って一枚一枚書くのを省略しています。
もちろんCGで補えないところは手書きですが。
かぐや姫は結末もあの童話話そのものです。

見所は芸術と今のアニメーションが失っているものを原点回帰しているところです。
最もかぐや姫といえばなぜ罰として地球にお届けされたのかということですが、
原作のかぐや姫(竹取物語)では言及されていません。

が、色々調べていくと、月という世界は汚れなき世界で地球という世界は汚れた世界。
汚れた世界にあこがれを持ってしまったことがすでに罪で、
その罪をあがなうにはけがれた世界に実際に住んで、「地球はやっぱダメ」と
心から感じた時(すなわち汚れなき月の世界のほうがいい)と心から納得した時、
罰はなくなるというものでした。

結末はきれいさっぱり地球での生活を忘れるということで
これをかぐや姫が別の視点で、誰かの視点で見たらこれほど辛い罰はないでしょうな。
いや、記憶をすべて抜き去るのは月からしたら慈悲なのでしょうか。
というのも月にいて地球のことをいつまでも思い出していたら鬱になって自殺
するかのうせいがありますもの。
それだったらいっそのこと記憶をすべてなくしてあげてさっぱりさせた方がいい。
と考えると、これはこれで慈悲ですね。


なお、かぐや姫の物語に関連して二つ、最近起きたことと思い出したことを。
まず一つ、最近起きたことはあるアニメの演出家に対して
「かぐや姫は手抜きすぎる」とクレームが入ったということです。

要するに深夜でやっているアニメ(セル画、デジタル画)しかしらない人からしたら
確かにかぐや姫のアニメは手抜きに見えなくもありません。
でも実際に動くところを見ると、一枚一枚手書きでやっているから
手抜きどころかむしろ一枚一枚の魅力があって面白いんですけれどね。

そしてもう一つ、やはりこの世界にドラえもんが現れて
かぐや姫に対して道具を出して地球に帰らせるというのが
ドラえもんの何かの話であったのですが、ああいった結末もあっていいんじゃないかなあと。
そしたら感動が薄れちゃいますか。

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